新年も七草が過ぎました。
例年ですと、とうの間に年頭の思いを纏めているのですが、今年はもやもやとしたままで今日まで過ぎてしまっています。その原因は、内外の世相が混沌としていて自分の頭を整理できていないことにあります。
イギリスのEU離脱、トランプの当選など社会不安を背景としたなかでの多数国民の行動が思いもよらない方向を向いていることを見せつけられていること、この流れにはフィリピン大統領の言動も含まれます。いわゆるポピュリズム、右傾化、ナショナリズムの台頭そしてヘイト的言説の現象は社会不安定化の兆候であり、動向も気にかかりますが、グローバルなこの社会では瞬時に我が身に降りかかる問題として捉えていくことが大切だと思います。
世相としては、老後将来への不安、社会保障への信頼低下、低所得層の拡大とそれが派生する問題が頭にあります。これは国づくりの問題と捉えています。少子高齢化社会、成熟国家での経済成長のあり方です。経済成長だけを求めるあり方に、本当にこの道しかないのだろうかと思います。少なくともギャンブルを経済政策の主要事項にするような議員の矜持を疑います。団塊世代の私としては、2025年をどのように迎えるのか心配しています。
集団的自衛権の問題にあたっては、違憲論議は盛んに行われましたが、国際社会での日本の進むべき道についての議論が深まらなかったように思います。あくまでもアメリカとの同盟強化という道は、いわゆるアメリカの戦争への荷担を余儀なくされるということを含みます。アメリカといえども、先のイラク戦争に見られるように必ずしも理性ある武力行使をするとは言えません。日本(国民)の主体性と尊厳の在処が見えにくくなっているように思われます。日本が進んでいる道はどのような道なのかということに素朴な疑問を抱いています。
混沌、不確定。どうやら先の見通しのつかない事態にあることだけは確かなことのようです。トランプ政権の発足、イギリス最高裁の判決、フランス・ドイツの選挙(もしかしたら日本も総選挙)などその都度世論を騒がせることが目白押しにあるようです。
どうやら鳥を騒がせる一年になりそうですが、夜鳥騒ぐ音を大群の襲来と間違えないよう、地に足をしっかりつけていなければと思います。