農業全書「農業全書」は全十巻で構成され、第一巻が「農事総論」で農業技術全般が、二巻以降が野菜・草木等の栽培法が論じられている。第一巻には十項目が展開されているが、その筆頭が「耕作」であり、最も多くの頁を割いていることから、「耕作」が農業技術で論じる最重要事項であると考えていたと理解できる。

「耕作」で私は次の3点を感じました。
・農法は、天候気象、地形、土質、風土などの自然環境に順応した術、すなわち「天地生養」、「陰陽和順」の思想を根源として論じられている。
・農人は「土地の宜しき(よろしき)」に従うべしの言がある。「宜しき」は「多様な個性」のことと理解する。風土の固有な多様性を土台として、それに順応した農業技術が論じられている。これは現代の共通、普遍的な技術論と対峙するものと考える。
・これらの思想を基調として農業全書が展開する農耕技能は、現代の機械による力ずく農耕、化成肥料・化学農薬の多投、によって失いつつある土壌の本来的・健全な機能の在り処を見つけることができる思いがする。

 この理解に基づいて「第一 耕作」に3つの節を新たに立てて、分類整理、要約してみました。各項には条項内容の趣旨を代表すると考えた(タイトル)を付記しました。文中の用語には、(よみがな、注釈)を所により付記してありますが、私の拙い解釈ですので誤りがありましたら悪しからず願います。要約は、原文を約1/3に縮小しました。また、項目順も一部入れ替えてあります。

巻の一 農事総論
第一 耕作
第一節 総論
(天地生養)
・それ農人(のうじん)、耕作のこと、その理り(ことわり)至りて深し。
 稲を生ずるものは天なり。これを養うものは地なり。人は中にいて、天の気により土地のよろしきに順ひ(まつろひ;したがう)、時をもって耕作を勤む。もしその勤めなければ、天地の生養も遂ぐべからず。(人の勤めがなけれが、天の稲を生ずる活動、地の稲を養う活動は、遂げることはできない。)

(陰陽和順)
・ およそ土は転じかゆ(掻ゆ)れば陽気多く、また執滞すれば陰気おおし。
 それ陰陽の理りは、至りて深しといえども、耕作に用いる所は、その心を付けぬれば悟りやすし。
 先ず、土の湿りたるは陰なり。乾きたるは陽なり。粘り塊たるは陰なり。重く強くはららぐ
(ばらばらになる)類は陽なり。これらの類を、おしはかりて土地の心を知るべし。仮りそめにも、陰気の陽気に勝りたざるように分別し、陰陽のよく調ふる(となうる;ととのえる)計らいを専らとすべし。
 晴れたる日に耕し、その土白く乾きたる時かき砕き、雨を得てうゆる(植える)と、また畑ものは、日と風を得て中打ち(なかうち:中耕)し、白く干して培うこと、これ皆、内に陽気を蓄え、外潤いを得る時は、陰陽和順するというものなり。
 農人よくこの理を辯へ(わきまへ)、およそ耕し、うゆる(植える)事ごとに、皆陰陽を調へて(ととのえて)天地の徳を助くべし。

第二節 心得
(田畑輪換)
・田畑は年々に変え、地を休めて作るを良しとす。しかれども、地の余計なくて、変えることのならざるは、植えものを変えて作るべし。
 所により、水田を一、二年も畑となし作れば、土の気が転じて盛んになり、草が生ずることなく、虫もなく、実り一倍もあるものなり。
 さて、畑ものにて土気弱りたる時、また元の水田となし稲を作れば、これまた一、二年も土地転じて大利を得るものなり。されども、これは上農夫のなす手立てなり。

(深耕浅掻)
・秋の耕しは、深きをよしとす。春夏は浅かるべし。また犂くことはいかにも平らかにむら無く、かく(掻く)ことは二三遍も、いか程も精しき(くわしき)を、よしとすることなり。これかきこなすことの懇(ねんごろ)にして塊なからんがためなり。
 細かによくかきたる地は、潤いをよく保つ故、少々の旱(ひでり)にも乾かずして苗傷まず。とかく土細かにして和らか(やわらか)ざれば、作り物の利潤少し(すくなし)と知るべし。苗の根あらき土には思い合わず。糞(こえ、肥え)も、むら交じりあるゆへなり。
 また、秋耕は青きを覆うということあり。草の青く生いたるを犂きかえし置けば、その田肥えるものなり。
 初の耕しは、深きをよしとす。重ねて段々鋤くことは、さのみ深きを好まず。初の耕し深からざれば土地熟せず、重ねて鋤く事深くして生土を動かせば、毒気上にあがりてかえって植えもの痛むものなり。ただこれは荒らし置きたるを耕すことを言うなり。
 熟地を常に耕すはしからず(そうではない)。先初は薄く犂て草を殺し、段々深くして種子を蒔くべき前は底の生土を動かすべからず。種、生土の毒気に当たりて生じがたく、栄えがたし。

(膏澤潤和(こうたくじゅんわ)
・耕の本(もと)は、時を考えて土を和らぐるを、肝要とすることなり。その時分をよく知るべし。
 先ず、春はこほり(凍り)溶けてより地の気初めて通じ、土和らぎ解くる時なり。また、夏至は、天気初めて暑し。されども陰気はこの時初めて兆す。この時も又、土解くるものなり。また、夏至(6月21日)の後九十日(9月22日、秋分)昼夜等し。この時も又天気和す。
 凡そこれらの時をもって、田畑を耕せば、一度にして五度にも当たるものなり。これを名付けて「膏澤」(こうたく;肥えて潤いのある土地)といいて、土の潤い和らぐ時なり。皆これ耕してすぐれてよき時なり。
 また、春の耕しは凍り(こおり)いまだ溶けざる中、春の陽気の通ぜざるに必ず耕すべからず。寒陰の気を覆い置くこと、甚だ悪しきことなり。
 また、堅く強き土、黒土の粘りたるなどは、春も少し遅く耕すべし。これらの土は塊を砕き置きて、草少し生じたるをみて又耕し、小雨の後又耕し、かきこなして塊少しもなきようにし置きて時を待つべし。これを強き土を弱くするの図りごとというなり。
 もし未だ春の気も通ぜず、潤いも無きに、強いて耕せば、塊砕けず、草も腐れ爛れず(ただれず)して、植えて後、苗と草と一つ穴より生ひ出でて、中うち(中耕)、芸る(くさぎる:除草)こともなりがたく、糞(肥え)もきかず、地痩せてあるるものなり。
 春和の気通じ、暖かなるに潤いを得て耕し、草、青く生じて又耕し、塊少しもなく、こなしたる地は、土和らぎ潤いて草も爛れ(ただれ)つぶれて、痩せ地も良田となるものなり。

(犂一擺六(りいちはいろく)
・犂一擺六(りいち はいろく、はい;ひらく)という事あり。
 これは、一度犂ては六度かきこなせ、ということなり。常に犂くことの深きをのみ専らとして、掻くことのくわしきが肝要とすることを知らず(??ということを知らないでも)、只幾度も掻き熟したるに、糞(肥え)を入れ、うゆ(植ゆ)れば、土よく和合して細根よく生じ栄ゆるものなり。
 粗がきしたるは、土熟せざる故、種を落として後、苗を見るといへども、苗の根粗き土に痛み、土、気と思い合わずして日痛み、虫気その他色々の病を生ずることあり。
 実りのよからんことを思はば、本法のごとく一度耕して六度までこそ掻かずとも、底まで塊なきを詮(せん;肝要)とすべし。    
 苗の立根が、底の細土と思い合わざれば、実りよからぬものなり。ものごと、殻子は、立根より生ずると心得べし。しかる故に、根の下に塊もなく、また苦土(にがつち)もなきようにこしらえ、糞(こえ、肥え)も根の下によく行き渡る心得すべし。
 ただ又、土の性により、しげく掻くべからざるも、間にはあるべし。細砂の地、弱く柔らかなる地、灰のごとく力なく軽き土などは、さのみしげくは掻くべからず。此等の土は少々塊ありとも、性をもたせ置き、力とすることなり。一遍には思うべからず。所によりて時によりて機転を用ゆべし。

 第三節 農具
(農具選得(農具を選び得す)
・総じて、農具を選び、それぞれの土地に従って宜しきを用ゆべし。
 およそ、農器の刃、はやき(捷き)とにぶき(鈍き)とにより、その功をなす所、遅速はなはだ違ふことなれども、愚かなる農人は、大方その考えなく、わずかの費をいとひて、能き農具を用ゆることなし。
 さて、日々に営む仕事の快くてはか行くと、骨折り苦労してもはかのゆかざると、一年を積もり一生の間を計らんには、真に大なる違ひなるべし。特に、土地多く、余りありて人少なく、その人力及び難き所にては、とりわけ牛馬・農具に至るまで優れて良きを用ゆべし。
 されば、古き詞にも、たくみ(巧み)その事をよく(良く)せんと欲する時は、先ず其の器をとくす(得す)と見えたり。
・耙(むまぐは;マンガ、馬鍬)の歯の長きと、短くてしげきとを、段々に調へ置き、その宜しきに従いて用いるべし。歯の荒きばかりを用いては、細かによくかきこなし熟しがたし。
 農書に言えるは、茂木のもとに豊草なく、大塊の間に美苗なしとて、茂り栄へたる木の下にはうるわしき草無く、荒き塊の間には見事なる苗は育たぬものなり。これ田畑に草を置き、塊ながら、種ゆべからざる事を言えり。深く耕し、日に合わせ、細かにかき、細土と糞(肥え)と和し、熟するを専らにするなり。
 この如く、よく地をこなして、うゆ(植ゆ)れば、大方の旱に会いてもさのみ傷まず、色々の癖、災難も逃れて、全く損亡して手を空しくするほどのことは無きものなり。これかねての養い善きによりて、作り物の性強ければなり。例えば人も無病なる強き者は外の邪気に侵されざると同じ理なり。